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いつだっただろうか、句会後の勉強会と称するお茶会で、「俳句を詠むには体力が必要」という話になった。
心に憂いがある時、無理しても詠めない・・・、と。
確かに、少ない経験から考えてもその通りと思った。


先日、栴檀2016年8月166号の読んでいないところをペラペラとしてみた。
昨年の秋の中村雅樹さんの講演の頁は、まだじっくりと読んでいなかったので読む事に。

「虚子・鶏二・魚目に学ぶ」という講演で「俳句とはなにか」というお話。

1 俳句とは修行
2 俳句は身体に叩き込むもの
3 人に出会い、場所に出会う

俳句は修行であり、机上の上の芸ではなく、能や日本舞踊、茶道のように身体芸である。
「心の構え」、対象への「踏み込み方」「間の取り方」を型とし、五七五のリズムを体に刻み込む。
身をもって覚える。


20160912-1.jpg


体得すると言うことは、それに耐えうる体力が必要ということか。

中村草田男の毒消しを飲んで「わが詩多産の夏」とは。。。
おたまには、そんな中村草田男の句が理解できない。
夏は、俳句があまり詠めなかったので、早く復調したいところ・・・。



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おたまおばさん
Posted byおたまおばさん

Comments 2

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海音  
納得

  上記の三か条納得するところがあります。「多作多捨」というのは、「身体に叩き込む」のに有効な方法でしょう。多く捨てるには、やはり他者の句を「多読多憶」しておくのが良いかと思います。
 2〜3年で『栴檀』の関係の句集を、筆写しながら読んで行くのが正道であると思います。

 

2016/09/12 (Mon) 20:30 | EDIT | REPLY |   
おたまおばさん  
類想・類句

海音様、お早うございます。

>   上記の三か条納得するところがあります。「多作多捨」というのは、「身体に叩き込む」のに有効な方法でしょう。多く捨てるには、やはり他者の句を「多読多憶」しておくのが良いかと思います。
>  2〜3年で『栴檀』の関係の句集を、筆写しながら読んで行くのが正道であると思います。

「多読多憶」とてもよいことだと思います。
それがですね、7月9月の句会投句した中に弊害が・・・。
7月に1句、9月に1句、おたまが投句した句は、誰それの句に似ているとお話があがりました。

リズムばかりではなく、単語、言い回しまで体得してしまっているのですね。
もちろん、それを使わせて頂こうなんて思っているわけではなく・・・・。
いつの間にか、そんな句が出来て、その時はおたまのオリジナルと思っているわけで・・・。

主宰は、よくできたと思ったときは疑ってかかるようにと言うことでした。
いやいや、すべてよくできていると思って投句するわけで。
では、その句の類句はどうやって探すのか?かという問題も残りますね。

特にね、即物具象・写生と言っていると、オリジナリティを追加することに神経を通わせないとだめのような気がします。
散る桜を見て綺麗としか思わないおたまは、この類想・類句からは抜け出せないのかも?

最近は、類想・類句はまったく恐れず、皆様の指摘があればすぐに謝ります。
そして、捨てます。
これしか方法はないかと思っています。

海音様は、いかがですか?

2016/09/13 (Tue) 06:46 | EDIT | REPLY |   

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