錦華小学校

ホトトギス発行の地よりわずか1分ほどの場所に夏目漱石が通った小学校があります。


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夏目漱石最後の小学校は第一大学区第四中学第二番小学(神田猿楽町にある錦華学校)です。神田猿楽町の錦華学校に入学した理由は一ッ橋にあった府立一中に進学するためだったようです。在籍は、僅か6ヶ月でした。


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写真は、現在のお茶の水小学校にある夏目漱石記念碑です。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。 明治十一年 夏目漱石 錦華に学ぶ」、と書かれています。
錦華小学校は近隣の小学校と合併して、現在はお茶の水小学校となっています。
ただ、夏目漱石が通った錦華学校は現在のお茶の水小学校の場所ではありませんでした。
約100m程離れた神田神保町一丁目30にあったそうです。


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冬来たり袖手して書を傍観す  夏目漱石


神保町の本屋街をぶらりしている時の句かも?
そう思うと、書店を覗き込んでいる隣の紳士が漱石に見えてきました(笑)。



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Theme: 俳句 | Genre: 小説・文学

コメント

書棚から明治の薫り冬初め

こんちは~。

ホトトギスの初期のことは平井照敏の虚子入門に、子規が書いた文を参考に詳しく書かれていますね。柳原極堂が松山で創刊したが、忙しさのためやめたいと子規に相談。それを東京で発兌(はつだ:虚子五百句にも発兌改造社とある)したのが、生活のため雑誌を出したいと考えていた虚子でした。松山版の倍近い60ページで、定価は9銭。初版1500部が2時間で売り切れ500部を再版したという。

2016/11/11 (Fri) 12:31 | 写俳亭みの #701gxeB2 | URL | 編集
書棚より本溢れをり小六月

みのさま、お早うございます。

> ホトトギスの初期のことは平井照敏の虚子入門に、子規が書いた文を参考に詳しく書かれていますね。柳原極堂が松山で創刊したが、忙しさのためやめたいと子規に相談。それを東京で発兌(はつだ:虚子五百句にも発兌改造社とある)したのが、生活のため雑誌を出したいと考えていた虚子でした。松山版の倍近い60ページで、定価は9銭。初版1500部が2時間で売り切れ500部を再版したという。

「発兌」って、「発行」という意味ですよね?
「改造社」というと、政治のイメージがあるのですが、あの大佛次郎記念館にも改造社の本がありました。
『改造』という雑誌とは別に、文学にも力を入れていたのでしょう。
改造社は、明治・昭和を支えているようですね。

2016/11/12 (Sat) 06:41 | おたまおばさん #2TS3CODM | URL | 編集
錦華公園

錦華公園は私が通った大学の隣にあります(笑。

 今もある錦華公園月に猫 /むく

2016/11/13 (Sun) 23:10 | むく #E0P7TXCk | URL | 編集
あのあたりは

むく様、おはようございます。

あのあたりは大学が多いですね。
その大学のお隣の(?)大学に子どもがお世話になる予定です。
ここに大学があるのに、4年間船橋で過ごす学科に行きたいらしく・・・。
さんざん違う学科を薦めたのですが。。。

スーパームーン錦華公園にも見えず  おたま

雨で、今晩のスーパームーン見えそうにないですね。

2016/11/14 (Mon) 06:43 | おたまおばさん #2TS3CODM | URL | 編集

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